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【連載第5回】「アンジェリック・チバ」改め「アンジェリック・パリ」に登場した新名物「ガトー・オ・フレーズ」とは?

2022/11/11

フランスからお届けしてきたレポート連載を締めくくる5回目は、パリの町の菓子店のご紹介です。
1980年に、日本人として初めてパリにお店をオープンした千葉好男シェフことフレデリック 千葉シェフの店、「アンジェリック・チバ(Angélique Chiba)」が、2021年に「アンジェリック・パリ(Angélique Paris)」として生まれ変わりました。新たにオーナーシェフとなった若い中国人のパティシエZuo Bin氏が、フランスでは珍しい、ふわふわのシフォンケーキ生地で作るショートケーキを販売したいと希望。「増田製粉所」の小麦粉を使っていらっしゃるそうです。
現在はお店のアドバイザーとなっていらっしゃるフレデリック 千葉シェフにお話を伺いました。

 

「アンジェリック・パリ」店内にてフレデリック 千葉シェフ(筆者撮影)

 

フレデリック 千葉シェフのご経歴について

1949年、東京都に生まれた千葉好男シェフが「アンジェリック・チバ」をオープンされたのは、観光名所としても知られるパリ9区のマドレーヌ寺院から徒歩5分程の場所で、ヴィニョン通り沿いの一等地です。日本の高校を卒業した後、菓子職人を目指して1968年に渡仏。当時のパリの一流店であった「エルグアルシュ」や、「ジャン・ミエ」「ホテル・リュテシア」などを経て、1980年、サロン・ド・テを併設した菓子店をオープンし、30歳で念願のオーナーシェフとなられました。フランスでの菓子コンクールにも挑戦され、1975年には権威ある「シャルル・プルースト杯コンクール」で金賞を受賞。1978年にはパリ市杯を受賞するなど、計3回の入賞。又、日本人の菓子職人として初めてフランス料理アカデミー会員にも推挙され、1995年に会員となっていらっしゃいます。
『ぼくは、パリのお菓子屋さん―フランスで花咲かせた日本人の腕前』(中央公論社・2000年)、『千葉好男のフランス菓子“本物”の味レシピ』(角川書店・2003年)、『お菓子とフランス料理の革命児 ぼくが伝えたいアントナン・カーレムの心』(鳳書院・2013年)と、日本で出版されているご著書も複数あります。
近年は、「日本アントナン・カーレム協会」の会長を務められ、2015年より日本国内のプロ向けに「アントナン・カーレム グランプリ パリ美食コンテスト」も開催され、私も何度か取材させていただきました。

フランスの国籍も取得され、食を通じたフランスと日本との文化交流に長年努めていらっしゃる方です。そんなフレデリック 千葉シェフが、2021年にお店を若いオーナーシェフに売却されたと伺って驚きましたので、まずはそのことについてお話をお伺いいたしました。

 

コロナ禍を経て現在に至るまで ~フランス人の働き方とは?

店内外に喫茶席を備えた「アンジェリック・パリ」の外観(筆者撮影)

 

「日本の菓子職人の方々は、生涯現役を目指して働き続けることも多いですが、フランスの方は、早めに引退されて、第二の人生を過ごされることが多いですよね。でも、千葉シェフもまだお若いので、えっ!と思ったのですが・・」とお伝えすると、「僕ももう73歳ですよ」と笑うフレデリック 千葉シェフ。
「フランス人は、誰もが定年退職を目標に働いているんです。」とのこと。一般的には65歳が定年で、フランスの年金制度では40数年は働いていないと満額出ないため、そこまで働く。その後は、店のオーナーシェフであれば営業権を販売することで、その後は売却金と年金とで暮らす、というのが理想なのだそう。
フレデリック 千葉シェフも、コロナ禍前から、店の売却について考え始めていらしたそうですが、そうこうしているうちにコロナ禍に見舞われてしまいます。そのため、政府の方針で店を閉めなくてはならない期間が4-5カ月程あったものの、以前の月商と比べて減少した分の援助金が、合計600万円程は支給されたそうです。その後、まだコロナ禍が収まってはいなかったものの、2021年に現在のオーナーシェフに売却することが決まり、現在に至ります。

この場所は、かつては画廊だったそうで、1945年以降に菓子店となり、フレデリック 千葉シェフがパティシエとして3代目だったそうです。パリの菓子店というのはそのように、営業権が譲渡されてオーナーが変わり、同じ場所で続いていくということがよくあります。店名も変わらないというケースもありますが、4代目のオーナーは、「アンジェリック・チバ」から「アンジェリック・パリ」に店名を変更。ただ、お店のロゴなどはそのまま使わせてほしいと希望されたので譲られたそうです。
オーナーが変わる場合は、常連のお客様などには挨拶するので、自然に受け入れられていると言います。オーナーシェフの存在感の強い日本とは事情が異なり、町にとけ込んで長いこと愛されてきたパリの菓子店の歴史を思わせます。

 

「アンジェリック・パリ」のショーケースの窓際には、フレデリック 千葉シェフが長年作っていらしたロングセラーの菓子も健在(筆者撮影)

と言っても、お菓子が全て変わってしまったのでは、これまでのお客様が離れてしまうので、半分くらいは千葉シェフのお菓子を残しつつ、新たなオーナーによるお菓子と共に並べられている状況です。

フレデリック 千葉シェフの開業時から変わらないレシピで出されているお菓子の1つが「ムース・オ・ショコラ」。「モンブラン」やりんご入りの「シブースト・ポム」も、人気のロングセラー品だと言います。りんごとシナモンを使った大きなサイズの「マカロン」もお勧めの品だそう。

 

日本の小麦粉を使ったお菓子に、フランス人のお客様の反応は?

 

新たに登場したシフォンケーキ生地の「ガトー・オ・フレーズ」(筆者撮影)

 

一方、新オーナーシェフがやりたいと仰って販売し始めたという「ガトー・オ・フレーズ」は、見た目は日本のショートケーキですが、生地はシフォンケーキの製法だそうです。カット販売とホール売りとがあります。
この店を譲ってアドバイザーの立場となられたフレデリック 千葉シェフは、これを機に「増田製粉所」のアドバイザーにもなられ、今後、同社の小麦粉をフランスで使って広めていく活動もしていかれるとのこと。
この「ガトー・オ・フレーズ」には、「宝笠」シリーズの中でも最もグレードの高い「宝笠ゴールド」を使用。きめ細やかでグルテンの出にくい小麦粉なので、ふんわりしっとりした食感を実現。苺と生クリームで仕上げたタイプ以外に、抹茶のシフォン生地に粒餡を挟み、抹茶生クリームでレコ―ションした「ガトー・マッチャ・アズキ」も販売されています。

「シフォンケーキのような食感のお菓子は、フランスにはありませんでしたが、最近は、美味しいと言って食べてくれるお客様も増えてきたようです。」とのこと。クラシックなフランス菓子の生地と言えば、シロップを打つことを前提に、しっかり焼き込んだビスキュイをはじめ、噛んで味わうようなものがスタンダードでしたが、次第に嗜好がグローバル化して、日本で好まれるような「しっとり、ふんわり」した生地も受け入れられるようになってきたのですね。
さらに、「シフォンケーキ生地は、生クリームの水分があまりしみこみすぎるとべったりしてしまうので、美味しいバタークリームを使ってもよいのでは。やはり、2日間はもつお菓子でないと、商売としては厳しいですからね。」と分析されます。

現在は、パリにも日本発の食パン専門店が出来るなど、フランスの食文化も変化してきていると言います。フランス菓子も、甘さは控えめに、アルコールも控えめにという傾向が進んでいるそう。
「僕が1968年にフランスに来た時には、非常に寒くて、甘い者を欲するというのもわかりました。昔はカスタードを炊くのに、1Lのミルクに280-300gは砂糖を入れていましたが、今は180-200gくらいに減らしています。温暖化も進んで、昔とは味覚が変わってきていますからね。」とのこと。

 

千葉シェフが「増田製粉所」の「赤煉瓦」を使って試作されたパイ菓子(筆者撮影)

 

「増田製粉所」による焼き菓子向けの小麦粉「赤煉瓦」を使ったパイ菓子の試作もしていると、試食をさせていただきました。細長くカットしたパイ生地の上に、グラスロワイヤルをかけて焼いてあります。こちらは、サクサクとした崩壊感のある食感が印象的。1種類はプレーン、もう1種類にはドライフルーツとナッツをのせ、塩をアクセントに振りかけてありました。おやつというよりも、大人向けの味わいで、お酒のおつまみにもなりそうです。フレデリック 千葉シェフも、「アペリティフに合わせて食べてもらいたい品」とのこと。「赤煉瓦」は、フランスで一般的に販売されている小麦粉に比べて、焼き縮みが少ないと感じられたそうです。今回は少し浅めの焼き加減だったため、次はもう少し強く焼いてみようと仰っていました。

 

「アンジェリック・パリ」の内観。菓子のみならず、長年勤める専任の料理人が製造した惣菜(トゥレトゥール)も並ぶ(筆者撮影)

 

日本の小麦粉を使ったお菓子に、フランス人のお客様の反応は?

日本では今、「働き方改革」が求められ、多くのパティシエの方々が、職人として腕を磨くということと労働の効率化との両立に悩んでいます。フランスではどうでしょうか?と伺ったところ、
「フランスの雇用主は、従業員に対して、年休以外に年5週のバカンスを与えないといけないですし、フランスの労働者達はそういった法律もよく知っていて、権利を主張するので、オーナーは大変ですよ。」とのお答え。
日本と同様に、既製品のパートシュクレのタルトケースや、パイ生地などを導入する店も増えてきていると言います。
「ただそういった既製品は、高価な割に美味しくないので、自分は出来るだけ使わないようにしています。でも、飾りなど、たとえば昔はブッシュ・ド・ノエルのシャンピニオンなども手作りしましたが、今は既製品を使うようになりました。」とのこと。
原材料費の値上がりはもちろん、光熱費の上昇はかなり深刻だそうです。私も、「ワールド チョコレートマスターズ 2022」取材中にお話したシェフから、ヨーロッパの電力不足はかなり深刻で、たとえばベルギーは、節電のため夜0時になると停電になることなども伺いました。

「アンジェリック・パリ」のケーキの価格は、プティガトーで5-6ユーロ前後のものが多く見られました。現在、パリの菓子店の価格は、高級店だと7-8ユーロ、ホテルのペストリーショップなどであれば12-13ユーロなどというのも珍しくありません。しかし、マドレーヌという一等地にありながらこの価格帯というのは、お客様にとって手頃だなと思いました。新しくオープンする店であれば、最初からある程度の価格をつけるケースが目立ちますが、やはり40年以上も続けていらっしゃる老舗ですから、価格を上げるということはなるべくなさらないのだろうと感じます。パリでは、物価上昇率に合わせて値段を上げるというのは一般的だそうですが、「それでも、バカンス後に、皆が前の価格を覚えていないのを狙ってその時に上げたり、飾りつけを少し変えて以前の品とは変化させたり、やはり苦心しています。」と笑うフレデリック 千葉シェフ。
現在はユーロ高・円安なので、私が出国する時には1ユーロ150円を超えていました。プティガトー1個が750~900円と考えると、やはり日本のケーキの価格帯と比べると高価な印象です。日本でも、原材料費・光熱費・輸送費・包材費などあらゆる原価が上がっている昨今、やはり正当な値上げはしていかなくてはならない。そのためにも、それだけの価値を感じてもらえる菓子やギフトを提案していかなくてはならない時代だな、と改めて考えさせられました。

最後に、オーナーシェフとしての歩みに区切りをつけられたフレデリック 千葉シェフが、今後、どのようなことをなさっていきたいのかお伺いしました。今年11月中にはフランス料理アカデミーの会合のため、2023年2月は大阪で開催される「アントナン・カーレム グランプリ パリ美食コンテスト」のため、来日予定でいらっしゃるとのこと。
「フランス人にとって、日本人は親切なイメージが定着していて、日本を知ってもらうにも今はとてもいい時期です。これからも、日仏の文化交流に努めていきたいと思います。」とのこと。
引退して悠々自適で過ごされる、という雰囲気ではなく、これからも菓子業界、食業界の最前線で、ますます精力的に活動していかれるご様子です。
フランスのものとは異なる特性を持った日本発の食材が、フランス人のパティシエやシェフ、お客様にも受け入れられて浸透していくのも、日本人として誇らしく、嬉しいことですね。パリのパティスリーやブーランジュリーで「増田製粉所」の小麦粉を使ったお菓子やパンに出会える機会が、これから増えていくかもしれません。

(取材:スイーツジャーナリスト平岩理緒)

 

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株式会社増田製粉所